〜第一回目の囮作戦〜 |
渡辺小左衛門、瀬戸小兵衛→渡辺伝兵衛(小左衛門の父) 2/1 |
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四郎の甥(城の姉の子)小平に渡辺小左衛門と城の母の手紙を持たせ、
城内へ幕府からの使者として送られました。 |
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(略)城攻めは幕府軍数十万余人でこれからはゆっくりと攻める干し殺し作戦との事です。落人は命を助けられ、今年は作取りでよいと言われました。キリシタンは赤子に至るまで殺すと、江戸の将軍様が命令されました。無理にキリシタンの仲間に入れられた者は助けてくださるとの事なので、一人一人調べ仏教徒らを出してほしい。それと引き換えなら私達(四郎母や姉、妹なども)を城へ入れてくださるとの事です。
又、大将四郎とて15・6歳なので四郎の名を借り裏で操る者がいるはずだということで、四郎は大将であっても城を出れば罪を許すとのことです。私も上使の許しを得て城へ入り、死をともにしたいと思っております。これを疑われるなら直接会って申し上げたいので、矢文で知らせてください。
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四郎母まるた、四郎姉れしいな→甚兵衛(四郎父)、四郎 2/1 |
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一筆申し上げます。(略)城内のゼンチョ(異教徒)を釈放してくださるなら、私達は引き換えに城へ入れてくださると上使さまが申してくださっております。もし偽りだと思われるなら、返事次第でどの口へでも連れて行って対面をさせてくださるとの事です。私達はどんなことがあろうとも死ぬも生きるも一緒と覚悟を決めておりますので、どうか人替えにご同意ください。返事をお待ちしております。
それにして、四郎は大将と聞き、もう簡単に会うこともできないのですね。矢狭間でもいいので姿だけでも見せてもらえないでしょうか。ぜひ小平に返事を持たせてください。
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小平は無事、城から帰されてきました。手には袋いっぱいの柿、蜜柑、砂
糖、九年母、饅頭、やつがしらなどをたくさん持たされていたといいます。※1
まだ6歳だった小平は、どんな思い出捕らえられ、そしてこの城内へ入った
のでしょう。
きっと四郎や一揆勢の人々が心配をして少ない貴重な食料を持たせたのだ
と思うと、胸が熱くなります。また小平も、もちろんキリシタンとして囚われ
の身。一揆が始まってからは、例え赤子と言えどもキリシタンは見つけられ
次第殺されているので、どれほど恐ろしい目にあっていたでしょう。
それでもこのいたいけな少年もまた、キリシタンだったのです。
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結局、この幕府側の策略も効果を得ませんでした。
※『島原天草日記』
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九年母(くねんぼ): |
蜜柑の一種 |
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やつがしら: |
芋の一種(めでたい料理に欠かせない芋の一種で、その名から「人の頭になるように」という意味があり、又一つのイモから沢山の芽が出ることから「芽出たい」という縁起物に食されたものだそうです。 |
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