文top
  城中(原城篭城の一揆勢)と幕府軍
  南蛮絵師山田左衛門作の裏切り
  幕府軍囮作戦
幕府軍囮作戦 -あらまし-
寛永14年9月末に細川領内の郡浦で、四郎の姉婿、渡辺小左衛門他6人が捕らえられ、やがて四郎の母と姉、妹も捕らえられました。しばらくは細川領内で拘束されていましたが、四郎達一揆軍が原城へ篭城したのち、四郎達への心理的動揺心をあおるため、上使松平伊豆守らが四郎母や親類縁者などを原城近くまで護送し、城中を脅かそうと試みられました。
 〜第一回目の囮作戦
 渡辺小左衛門、瀬戸小兵衛→渡辺伝兵衛(小左衛門の父) 2/1

 四郎の甥(城の姉の子)小平に渡辺小左衛門と城の母の手紙を持たせ、
 城内へ幕府からの使者として送られました。

(略)城攻めは幕府軍数十万余人でこれからはゆっくりと攻める干し殺し作戦との事です。落人は命を助けられ、今年は作取りでよいと言われました。キリシタンは赤子に至るまで殺すと、江戸の将軍様が命令されました。無理にキリシタンの仲間に入れられた者は助けてくださるとの事なので、一人一人調べ仏教徒らを出してほしい。それと引き換えなら私達(四郎母や姉、妹なども)を城へ入れてくださるとの事です。


又、大将四郎とて15・6歳なので四郎の名を借り裏で操る者がいるはずだということで、四郎は大将であっても城を出れば罪を許すとのことです。私も上使の許しを得て城へ入り、死をともにしたいと思っております。これを疑われるなら直接会って申し上げたいので、矢文で知らせてください。


 四郎母まるた、四郎姉れしいな→甚兵衛(四郎父)、四郎 2/1

一筆申し上げます。(略)城内のゼンチョ(異教徒)を釈放してくださるなら、私達は引き換えに城へ入れてくださると上使さまが申してくださっております。もし偽りだと思われるなら、返事次第でどの口へでも連れて行って対面をさせてくださるとの事です。私達はどんなことがあろうとも死ぬも生きるも一緒と覚悟を決めておりますので、どうか人替えにご同意ください。返事をお待ちしております。
それにして、四郎は大将と聞き、もう簡単に会うこともできないのですね。矢狭間でもいいので姿だけでも見せてもらえないでしょうか。ぜひ小平に返事を持たせてください。


  小平は無事、城から帰されてきました。手には袋いっぱいの柿、蜜柑、砂
 糖、九年母、饅頭、やつがしらなどをたくさん持たされていたといいます。※1
 まだ6歳だった小平は、どんな思い出捕らえられ、そしてこの城内へ入った
 のでしょう。
  きっと四郎や一揆勢の人々が心配をして少ない貴重な食料を持たせたのだ
 と思うと、胸が熱くなります。また小平も、もちろんキリシタンとして囚われ
 の身。一揆が始まってからは、例え赤子と言えどもキリシタンは見つけられ
 次第殺されているので、どれほど恐ろしい目にあっていたでしょう。
 それでもこのいたいけな少年もまた、キリシタンだったのです。

 ------------------------------------------------------
 結局、この幕府側の策略も効果を得ませんでした。
 ※『島原天草日記』
九年母(くねんぼ): 蜜柑の一種
やつがしら: 芋の一種(めでたい料理に欠かせない芋の一種で、その名から「人の頭になるように」という意味があり、又一つのイモから沢山の芽が出ることから「芽出たい」という縁起物に食されたものだそうです。


 城中 渡辺伝兵衛→瀬戸小兵衛(伝兵衛の娘婿)

 小平に持たされた城中からの返書です。

あなた方も無事で安心しました。城中の者は皆、天主さまに命を捧げる覚悟ができています。ご存知のように私達が他宗の者を無理やりキリシタンに加えていない事はあなたがたが一番よく知っておられるはずです。こういう状況なので、、落人が出ても一向に差し支えないので自由に出すつもりです。





第二回目の囮作戦
 渡辺小左衛門→城中 渡辺伝兵衛 2/8

 日を改めて、今度は小平と四郎の妹、万(7歳)が小左衛門と四郎母の書
 状を持たされ、使者として城中へ送られました。

城中には無理にキリシタンに引き入れられた者はいない、欠落ちは構わないといっておられるが、それは偽りに思えます。村々を焼いたのも、志岐・島原城を攻めたのも、信者以外のものをキリシタンにするためだったように聞いています。キリシタンの法には偽りがないと確かにあるのに、合点がいきません。また陣所に来た落人らは、城中では落ちたいという者に見張りをつけているとのこと。逃れたい者やキリシタンになったことを後悔している者は、吟味の上こちらにお渡しください。これは慈悲のためにいうので、そちらで同意しなければ止むを得ません。万事について互いに偽りのないようにしたいと思います。この前、お返事を頂きましたが、文の筆跡は見慣れたものとは違い、判形も違う。自分で書いてもらえれば信用できるのですが。江戸での仕置きは、事の他寛大で、私達のようなものを10人・20人城中へ送ることも差し支えないと言ってくださっています。様子次第では、ただ詫び言を申し上げるだけで私達を城中へ入れてもいいとのことです。
なお、甚兵衛殿の御内儀(婦人)からも手紙を送っているのですから、ぜひ返事をしてください。いつでも矢留めをし、親子の対面をさせてやると仰せです。そのことを承知ください。


 四郎母まるた・姉れしいな→甚兵衛・四郎


あなた方がそろって元気と小平から聞き、安心致しました。が、あなたは私や子を見捨てられ、なんとも情けないことと思っておりましたが、文の返事もくださらず益々情けなくなってしまいました。上使さまは城中より他宗者を出してくださるなら、私達を代わりに城へ入れてくださるとおっしゃっていただきました。私達は天主さまへの思いを一つにしており、一日も早く城へ行き、皆と一緒になりたいと上使さまに申し上げました。
無理やりキリシタンにし、城中へ留め置いている者はいないとのことですが、それは偽りだと小左衛門殿も小平も申しております。これだけ申しましてもお聞きくださらないなら、そちらの心中が分からなくなってしまいます。どうかお返事をお待ちしております。
なおなお申し上げます。この使いは小平でなく、私が参りとうございました。 


 やがて城中から小平と万は、2〜300人の者に見送られて無事に戻ってき
 ました。万の手には、四郎からもらったというゆび金(指輪)が一つ、むくろじ
 2つが堅くにぎられていたそうです。※2
 ※『増井所左衛門覚書』

むくろじ: 羽根突きの羽根の軸に使われる堅くて黒い実


 城中 渡部(渡辺)左太郎→瀬戸小兵衛 
 渡部(渡辺)左太郎=渡辺家次男21歳、四郎のもう一人の姉婿
 (この箇所、原文です)
 志やまのすこへは春の嵐哉はらいそをしてはる村雲
 (ここから意訳)
 恥ずかしながら涙を水にし、心を墨としその墨をすりながら、
 さんたまりあ様、さんちゃご様、みげる様、いなしょ様、ふらんしすこ様、
 皆々諸々の聖者さまのお力を得て一言書かせていただきます。

 必ずはらいそ(天国)で皆様とお会いしたいと願っております。
 とにかくデウス様のお計らいに心をゆだねます。尚なお、御主様のお計らい
 のままに。何れに致しましても御覚悟お心得お頼み申します。

 

 もやは城中の何万もの人間を統制しなければならない四郎達は、少しの落
 人をも許すこともできなかったと言えるでしょう。それでなくとも苦しい篭城戦
 なのです。そして城中には、15歳以下の子供がこの篭城戦の足手まといに
 なり多くの者に迷惑になりかねないと、万感胸詰まる思いで殺してきてしま
 った村々の者もいるのです。例え四郎の身内と言えども、人替えなどにはも
 はや応じることもなかったといえるでしょう。

 四郎達の心中を思うと、身を切る思いが切々と伝わってくるようで切なくなり
 ますね。四郎達はきっと、城外で同じく苦しい目に合わされている身内に、
 どうか宗門を捨てないで堅く守り通してほしい、そして必ずパライソ(天国)
 で会いましょう・・・そう思ったに違いありません。
 




幕府軍囮作戦について

こうして二度にわたる幕府軍の策略は失敗に終わります。
身内の涙も、落人優遇策も効を得ませんでした。四郎母らは再び細川藩の牢へ戻され、二度と四郎達と現世で会うことはありませんでした。・・・


キリシタンは虫も生かしておけぬ、という方針は変わらないはずで、城中のものの動揺を狙って落人を増やし、心理的結束を揺さぶろうとしたものであり、本当に落人になって助かるなどという約束が果たされるはずも有りません。まして、再びキリシタンを捨てれば、来世の天国への希望も再びたたれるのです。天国は、唯一心の中で輝き、現世の苦しみを乗り越える力となりえたのです。


そして城中からの返書には、現世のどんな苦しみも乗り越えてキリシタンを守り通してほしいという、見えないメッセージが隠されていたといえるでしょう。四郎達は、母や姉、妹を決して見捨てたのではないんですね。家族の涙にも屈しなかったのは、そのことを堅く守り通してほしいという家族に向けた心のメッセージだったんだと思わずにいられません。


余談になりますが、文の前半に聖者の名が連なっています。そしてそれらの力を借りて・・・とあります。これはこの宗門に見られることで、聖者(かつての殉教者)とは、現世の自分たちと神様との間をとりなして下さる存在ということで、城中の彼らの追い込まれた現実から、もはや祈りの胸中へ変っていった状態も察することが出来ます。


inserted by FC2 system