日本特有の合戦中に見られる敵陣同士の矢文というものがあります。この矢文では、お互いの心中の探りあいまた策略の一つにも使われ、天草・島原一揆でも
一揆軍と幕府軍の間で矢文が交わされました。
ここでは数少ない史料に残る矢文や一部書状を辿りながら、彼らの置かれていた状況や心情の変化を追ってみたいと思います。ただ、残る史料は本当に少なく、また後々意図的に書き換えられたり、書き写されたものによってもかなり違い、信憑性の高いものが果たしてどれなのか、どれが本当の文章なのかなどということは、今現在でもほとんどわかっていません。が、当時の彼らを探るひとつの手立てとして参考になれば幸いです。また、ここではそれぞれの矢文の信憑性を考察することを主眼としておりませんので、物語のように読んでいただければと思います。ただ、取り上げた文書の全文を直訳しているわけではありません。あくまで大筋を分かる範囲で簡単に記しています。日付け、内容等も写されたものによりかなり違いが有りますことどうぞ御了承くださいね。
※一揆の月別経緯ページでも簡単に書いています。




  城中(原城篭城の一揆勢)と幕府軍
  南蛮絵師山田左衛門作の裏切り
   幕府軍囮作戦
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