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  城中(原城篭城の一揆勢)と幕府軍
  南蛮絵師山田左衛門作の裏切り
  幕府軍囮作戦
篭城戦での一揆勢と幕府軍との矢文やりとり
一揆軍が原城に篭城して後、幕府軍は彼らの真意を探ろう矢文を放ちます。そして、厳しい篭城中の彼らを心理的に揺さぶります。甘い言葉でたくみに誘う幕府軍ですが、彼らの態度が軟化することは当時の江戸幕府の徹底的なキリシタン弾圧の姿勢から考えれば、例え篭城した目的が経済的困難からだったとしてもありえなかったでしょう。現に落人となったものたちの多くは、2月28日の一揆軍全滅直後に幕府軍同士で首の数を競うため捉、えられていた彼ら(落人の一揆たち)はことごとく斬首されているのです。
 城中から上使(板倉内膳)御中 12.12
この世に生まれたものはみな貴賎と差がなく同じ人間です。私達はキリシタンはキリシタンというだけで言い表し難い責めを受け、半殺しの目にあい、なんとも言いようがございません。
私達は武士でもありませんのに篭城をしておりますのも、藩主さまの罪を示し面目をたてたり、一揆の言い分を通して利益を得ることなど考えも及びません。私達はただ訴えを聞いていただきたかっただけなのですが、幕府の方々へそれが届かず、この物々しい軍勢を向けられたので逃げも隠れも出来なくなりました。

この城内は地獄の有様となることは目に見えており、例え生き延びる者があったとしましても攻め込まれ切り刻まれることは承知しておる次第です。それでも来世は必ずや天国へ行けると信じており、この他にはもう何も望みません。

しかしながら、女子供は将軍様のお慈悲を賜り、ここから救っていただけないでしょうか。それが叶いましたなら私達は首をはねられようとも恨みもなくあの世へ参れます。どうか死を前に致します者への哀れみをお聞きくださるようお願い申し上げます。
 有馬浪人 芦塚忠右衛門から板倉内膳 12.23
言い分を聞いてくださるということなので申し上げます。
私達が抵抗しましたのは、島原や天草での私達の蜂起に対し、そちらが軍勢を差し向けられたので身を守るために止む無くこのような次第です。国を混乱におとしめようなどという意図は少しもなく、私達はキリシタンの宗門をお許しいただければ他には何もいうことはございません。お上に抵抗致しますことはでいうすから禁止されされているはずと考えかと存じますが、私達はキリシタンに敵対するものに対しましては身命を捨ててでも戦わねばならない事態に相成り、止む無く抵抗しております。

 松平伊豆守から原城へ 正月中旬(1/10)
このたびの篭城の本意は幕府への恨みによるものなのか、それとも松倉長門守への恨みからなのか聞かせてほしい。話し次第では便宜を図ってやってもよい。城を明け渡し村々へ帰り耕作に務めるならば当座の食べるだけの米2000石をやろう。そして、当年(寛永15年)の年貢は納めずともよい。その後は年貢を三割と決めよう。等々
 天ノ四郎から松平伊豆守 正月(1/10)

私達が今回篭城いたしましたのは、幕府への恨みからではありません。ここ数年、松倉長門守さまの検地が存外のほど厳しく、常識で考えられないほど高率年貢を申し付けられ、4・5年間、牛馬を手放し、家族も食べることが出来ず、妻子とも一緒に暮らせなくなってしまいました。この恨みに涙で袖をぬらしながらも、年貢蔵納めといえども底を付き、もはや死ぬのみ、よってこのように成り果てました。

国をおびやかそうなど思っておりません、ただただ、松倉長門守殿だけへの恨みを申し上げます。・・・代々の住まいを離れ、家族もともに暮らせなくなり(妻子縁を切り)、11月下旬ころより霜が出る寒さにあってもまとう衣類もなく、焼け野のわらびに手を出す有様、こうなってはあとは覚悟の上です。・・この苦しみを抜け、例え修羅の道でも、やがて皆極楽へ行けることをもはや疑っておりません。


・・・すごい意訳ですみません。 汗
 堀江勘兵衛(城中)→長岡監物他へ      1.16

(略)今回は宗門のために篭城しております。城から見ますと、西国の大名衆は残らず集まられおられる様子、その上、異国(オランダ船からの大砲射撃のこと)の人たちまで召し寄せてお攻めになられるのは、思いもよりませんでした。こちらは、一人一人まかり出て成敗を受けるようにと仰せられますならば従うつもりでおりましたが、こういうことになったからにはそれも出来なくなってしまったと、城中の者みな意見を申しておりました。

 城中→細川越中守 (1/19)

今回の篭城が、天下のために戦い、幕府への反逆と考えておられるようですが、そのような気持ちはいささかもございません。また今度の叛乱は決してこちらから仕かけたのではありません。幕府正規軍が攻め懸けてこられたので効して防ぐに至っております。
長門守様には宗門に対する圧迫以外には、もう少しもうらみはございません。もしこのことで長門守さまが死罪・流罪になられましたなら、とても気の毒なことです。宗門以外のものを無理やり引き入れたということはございません。私達が宗旨を帰ることが出来ないのがもっともだということが聞き届けてくださったのはありがたいことです。篭城の者に、妻子とともに在所に住むことを許されるとのことですが、私達はただ宗門を認められる地を求めるだけでそれが許されなければ帰る事はもはや希望いたしません。
城内では、苦しみも天上の祝福に通じることと思っておりますので、城を捨て逃げ出す者はおりません。私達を討伐した後、妻子をどう扱われましても依存御座いません。このようなことを合点されましたなら、今後はもう城を明け渡せば罪を許す、あるいは生活を保障してくださるとか、妻子は許してくださるなど、もうそのようなことはおっしゃらないで下さい。こちらからも申し入れは致しませんので。


四郎殿のことにつきましては、私どものような者が口にすることではありませんが、返答として申し述べます。四郎殿は生まれながらの才智を備えた天の使で、およそ凡慮の及ぶところではございません。ただ現世のことだけでしたなら天下に背くこともなかったでしょう。逆にもし平和な世に将軍様に背くような謀反人がありましたなら、その討伐をキリシタンに命じられましたなら一命を投げ出しご奉公いたすでしょう。偽りではございません。キリシタンは常にこのような覚悟を持っておるのです。しかしながら、今度のことにつきましては後生のための一大事。ですので、天の使のご下知に従い一歩も退かず、後生の安穏を願っておる次第です。

 松平伊豆守→城中 1.21

無理に篭城させられた者は命を助けてやるので、矢文で知らせるように。落人に限り、田畑を与え、今年は年貢をかけないことにする。キリシタン宗門を捨てず篭城する者は全て斬罪と処される。
 『一揆篭城ノ刻日々記』1.22 ※双方の矢文が書かれた箇所
  (城中→松平伊豆守)
城中3人の大将がいます。この3人だけいかようにも成敗くださり、残りの者は助けていただけないでしょうか。
  (松平伊豆守→城中)
一人も助けることはできない。
  (城中→松平伊豆守)
それならば男だけ成敗され、妻子は助けていただきたい。
  (松平伊豆守→城中)
虫でも助けることは出来ない。
いくらでも堅く城を取り囲むつもりだ。
※「天草時貞」岡田氏からの引用を参考
 原城矢文 (日付なし、名・宛名なし)

(略)松倉豊後守さまがこの島にこられて、太閣さまの検地以来ここは4万石のところ12万石となされ、数年来、米を召し上げられるのみならずいろいろな物に税を掛けられ、納められない者に縄をかけ、目口耳より血を流し、虫けらのように打たれ、これを逃れようものならなお増税され、金銀米銭はいうに及ばず、家財衣装まで剥ぎ取り、前代未聞の御法外、それでも上様へのご奉公は忘はせず、お国替えもあろかと願っておりました。(長いので略)長門の首さえ見せてくだされば、城中のもの死罪も本望でございます。(略)

※訳が困難・・・汗。
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