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  城中(原城篭城の一揆勢)と幕府軍
  南蛮絵師山田左衛門作の裏切り
  幕府軍囮作戦
山田右衛門作の裏切りについて
口之津の大屋に住んでいたという松倉領主につかえていた南蛮絵師、右衛門作は、混乱のうちに無理やりキリシタンに加えられ家族ともども原城篭城に加わりました。生きるために、彼は松倉側の事情をよく知ることからも、原城内では重要な役職に付き、自らを“矢文奉行”と述べています。(『山田右衛門作口書』)
その役職を利用し、密かに自分の身の上を幕府側に伝える矢文をうち、助かる道を模索していたようです。そしてその裏切りにより、結果的に全滅した一揆勢のなかで唯一生き残りました。そして彼の供述が、皮肉にも後世にこの一揆が伝えられることになる数少ない史料を残す生き証人となったのです。・・・
 山田右衛門作 (やまだよもさく)→松倉藩目付け役

思いもかけない災難にあってしまいました。10月28日、妻が人質に取られ、村人の仲間になる他ありませんでした。藩から依頼のありました城の屏風(家老多賀主水さま・横目の横山清右衛門様依頼の屏風)は土蔵へ納めましたので調べお引取り下さい。

このたび私はキリシタンでもないのに加えられ、心定まりませんが、子供二人も人質にとられたので篭城軍と行動を共にする以外ありませんでした。口之津村、松倉藩倉庫奉行の2人もこの中におります。
【説明】
山田右衛門作は、もともと松倉藩の絵師で松倉藩から扶持米をもらっていた身の上です。このたびの篭城戦では、無理やりキリシタンの仲間に引き入れられ、とはいうものの重要な役を担っていました。最後の激戦時、唯一幕府軍に助け出された裏切り者としてただ一人の生き残った人物です。
 山田右衛門作→有馬五郎左衛門 2.18

(略)21日三の丸より年寄り衆を引き入れ、火をかけさせ、四郎方へ入り、城中に年寄衆に乗り込ませ火をかけましょう。そうすれば四郎も城中を退き、浜にある落船に乗せ、そこで生け捕りに致しましょう。
【その後】
この矢文の返事が、五郎左衛門から撃たれましたが、その矢文が城中の者に見つかってしまい妻子を殺害され、拘束されてしまいます。蘆塚に処刑される寸前で幕府最終総攻撃がかかり、あえなく幕府軍から救出されるのです。
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